兄貴合格
2009年 03月 13日
兄貴が今日、モノレールの運転手の試験に合格した。
嬉しかった。とっても嬉しかった。
3つ上の兄貴には小学校の頃よく泣かされていた。
兄貴の洋服をこっそり借りてボコボコに殴られた事がある。
洋服ぐらいいいだろうが。
兄貴は凝り性で切手やら集めてた。熱帯魚も飼ってた。本格的に。
B'zとかブルーハーツとか兄貴がよく聞いてたから俺も好きになった。
あれは中学校の頃、
初めて俺がケンカで勝った。
中学校に入って、俺の背が伸びて、
兄貴を越した頃、初めてケンカで勝った。
それから兄弟ゲンカを一度もしたことがない。多分。
興奮しすぎて手がガタガタ震えてたのを今でも覚えてる。
兄貴は口ベタで不器用だから、親父とよくケンカした。
冷戦みたいな。
俺は口は達者な方で要領よかったから、オカンは
「足して2で割ったらちょうどいいのにね。」とか言ってたっけ。
ある日、勉強ができた俺は兄貴の学歴の事をバカにしたことがある。
兄貴はものすごい怒って、殴りかかってきた。
そん時の兄貴の顔を見て、すんごい反省した。
「ごめん」とちゃんと謝ったのはあれが初めてだったと思う。
兄貴は高校からグレ始めた。
一緒に家を出ても、「じゃーな」と行って団地の階段から
どこかに消えた。
高校を卒業できたのは当時の担任のおかげだとオカンは言ってた。
一応、大学に言ったはいいけど、昼夜逆転の生活をしてて、
部屋をあけると、タバコの煙で真っ白になってた。
大学卒業を目前のある日、俺にいきなり
「結婚するから」と言った。
っていうか彼女いたんかい。
ナンパして交際3ヶ月のその人と結婚すると言ったのだ。
親父は反対した。
っていうかまだ学生だったし、就職も決まってなかったし。
「赤ちゃんがいる」
親父はブチ切れた。ただ、オカンだけは「まぁいいんじゃない」って言ってた。
赤ちゃんをおろす、という選択は頭の中になかったんだろうか。
無謀だ、と思ったけど、勇気あるな、とも思った。
兄貴は大型チェーン店の薬局に勤め始めた。
ある日、俺とオカンとおばあちゃんで兄貴の職場に行ったとき、
上司が駆け寄ってきて、
「いやー、永田君は本当によく働いてくれます。いまどき、珍しいです本当に!」
とベタ誉めしてきた。嬉しかった。
学生時代、心のどこかで兄貴を馬鹿にしてた。
でも社会人として一所懸命働いて、人に誉められてる兄貴は
本当にすごいと思った。大げさじゃなく誇りに思った。
翌年、二人目の赤ちゃんができた。
年子かい。すぐかい。
んで、そん時飲みに行った。
「仕事を辞める」と言ってきた。
俺は反対した。せっかくよくしてもらってるのに。
その会社の内部を見てきた兄貴はこの先、多分会社はダメになるだろうと言った。
んで、今のモノレールの会社に非常勤として働き始めた。
真面目だったんだろう。兄貴は運転手の試験を受けれることになった。
正式採用だ。
喜びもつかの間、
兄貴が詐欺にあった。
とられたお金は半端ない金額。
そんなに貯金してたんかい。
今でもその犯人には地獄におちてほしいと思ってる。
目を真っ赤にしながら実家に帰ってきた兄貴。
奥さんと頑張ってためたお金を盗んだ犯人。
ほんとに地獄におちてくれ。
そんでその頃、三人目の赤ちゃんが。
すごいねアンタ。この少子化の時代に。
で、福岡に1年近く研修する事になった。
近況をオカンから聞かされていた。
「お兄ちゃん大変みたいよ。」
「ふーん。」
半分聞き流していた。大変ッつっても別に研修でしょ?
帰ってきたらすぐ運転手になれるんでしょ?
そう思っていた。
兄貴が研修に行って10ヶ月たった頃。
兄貴から電話があった。
声を聞いて愕然とした。
疲れきってた。
聞くと、やっぱり鉄道の世界と言うのは
もんのすごく厳しいらしく、
上官であるその人に、兄貴は一日中怒鳴られていると言うのだ。
「よくここまで怒鳴れるよな・・・感心するよ・・・。」って言ってた。
右も左も分からないのに、いきなり運転するよういわれ、
慣れない24時間勤務。そして毎日毎日、怒鳴られる。
「俺、死ぬかもしれんな。」
兄貴がポツリそう言った。
心臓が止まりそうになった。
本当に死ぬかもしれん、と思った。
ヤバイと思った。
「帰って来い」って言った。
「仕事は?誰が子ども達の面倒を見る?」って言ってきた。
それでも帰って来いって言った。
「子ども達のためにって頑張ってきたのにな・・・
今は重荷でしかないよ・・・。できることなら離婚して
一人で好き勝手できたらいいな。」って言った。
こいつ本当に死ぬかも。ほんとにそう思った。
「久しぶりに話せてよかったよ。」と言って電話を切った。
泣いてしまった。
家族がこんなに苦しんでいる事にまったく気づかなかったから。
どうせ大丈夫だろ、って思ってた。
努力家で真面目な兄貴から、後ろ向きな言葉しか出てこない。
俺はすぐにオカンに電話をした。
「福岡に行ってくる。」
オカンもすぐに行って来いと言った。
実はオカンも兄貴が今相当ヤバいことを悟ってた。
でも兄貴は来るなといった。
その時聞いたのだが、
研修の最後に行われる試験に合格しなければ、
この1年間の研修はパーになる。
誰でも研修が終われば運転手になれるわけじゃないのだ。
1年も家を空け、奥さんに申し訳ないと思いながら、
生まれたばかりの次男にも会えず、
もし試験に落ちれば、全部、無駄になる。
兄貴は相当なプレッシャーの中にいた。
兄貴の試験は3月7,8日。
奇しくも、俺の舞台本番と同じ日だった。
そして今日、合格発表。
兄貴は合格した。
泣いた。嬉しくて嬉しくて泣いた。
すぐ電話した。
「よかったな、よかったな。」
それしか出てこない。
「おぉ、おぉ。」
兄貴もそれしか言わない。
電話を切った。
不器用で口下手だけど、
誰よりも真面目で一生懸命な兄貴。
本当におめでとう。
帰ってきたら約束どおり飲みに行こう。
本当におめでとう。
もしあなたがモノレールに乗って
運転手がkinki kidsの堂本剛似のちっちゃい運転手だったら
それは俺の兄貴です。自慢の兄貴です。
兄貴の長男坊。
永田太星。
3人兄弟の真ん中なので
愛情不足です(笑)
俺がたっぷり注いでやるからな!!
プラモデルもたくさん買ってあげるからな!!(たぶん)
嬉しかった。とっても嬉しかった。
3つ上の兄貴には小学校の頃よく泣かされていた。
兄貴の洋服をこっそり借りてボコボコに殴られた事がある。
洋服ぐらいいいだろうが。
兄貴は凝り性で切手やら集めてた。熱帯魚も飼ってた。本格的に。
B'zとかブルーハーツとか兄貴がよく聞いてたから俺も好きになった。
あれは中学校の頃、
初めて俺がケンカで勝った。
中学校に入って、俺の背が伸びて、
兄貴を越した頃、初めてケンカで勝った。
それから兄弟ゲンカを一度もしたことがない。多分。
興奮しすぎて手がガタガタ震えてたのを今でも覚えてる。
兄貴は口ベタで不器用だから、親父とよくケンカした。
冷戦みたいな。
俺は口は達者な方で要領よかったから、オカンは
「足して2で割ったらちょうどいいのにね。」とか言ってたっけ。
ある日、勉強ができた俺は兄貴の学歴の事をバカにしたことがある。
兄貴はものすごい怒って、殴りかかってきた。
そん時の兄貴の顔を見て、すんごい反省した。
「ごめん」とちゃんと謝ったのはあれが初めてだったと思う。
兄貴は高校からグレ始めた。
一緒に家を出ても、「じゃーな」と行って団地の階段から
どこかに消えた。
高校を卒業できたのは当時の担任のおかげだとオカンは言ってた。
一応、大学に言ったはいいけど、昼夜逆転の生活をしてて、
部屋をあけると、タバコの煙で真っ白になってた。
大学卒業を目前のある日、俺にいきなり
「結婚するから」と言った。
っていうか彼女いたんかい。
ナンパして交際3ヶ月のその人と結婚すると言ったのだ。
親父は反対した。
っていうかまだ学生だったし、就職も決まってなかったし。
「赤ちゃんがいる」
親父はブチ切れた。ただ、オカンだけは「まぁいいんじゃない」って言ってた。
赤ちゃんをおろす、という選択は頭の中になかったんだろうか。
無謀だ、と思ったけど、勇気あるな、とも思った。
兄貴は大型チェーン店の薬局に勤め始めた。
ある日、俺とオカンとおばあちゃんで兄貴の職場に行ったとき、
上司が駆け寄ってきて、
「いやー、永田君は本当によく働いてくれます。いまどき、珍しいです本当に!」
とベタ誉めしてきた。嬉しかった。
学生時代、心のどこかで兄貴を馬鹿にしてた。
でも社会人として一所懸命働いて、人に誉められてる兄貴は
本当にすごいと思った。大げさじゃなく誇りに思った。
翌年、二人目の赤ちゃんができた。
年子かい。すぐかい。
んで、そん時飲みに行った。
「仕事を辞める」と言ってきた。
俺は反対した。せっかくよくしてもらってるのに。
その会社の内部を見てきた兄貴はこの先、多分会社はダメになるだろうと言った。
んで、今のモノレールの会社に非常勤として働き始めた。
真面目だったんだろう。兄貴は運転手の試験を受けれることになった。
正式採用だ。
喜びもつかの間、
兄貴が詐欺にあった。
とられたお金は半端ない金額。
そんなに貯金してたんかい。
今でもその犯人には地獄におちてほしいと思ってる。
目を真っ赤にしながら実家に帰ってきた兄貴。
奥さんと頑張ってためたお金を盗んだ犯人。
ほんとに地獄におちてくれ。
そんでその頃、三人目の赤ちゃんが。
すごいねアンタ。この少子化の時代に。
で、福岡に1年近く研修する事になった。
近況をオカンから聞かされていた。
「お兄ちゃん大変みたいよ。」
「ふーん。」
半分聞き流していた。大変ッつっても別に研修でしょ?
帰ってきたらすぐ運転手になれるんでしょ?
そう思っていた。
兄貴が研修に行って10ヶ月たった頃。
兄貴から電話があった。
声を聞いて愕然とした。
疲れきってた。
聞くと、やっぱり鉄道の世界と言うのは
もんのすごく厳しいらしく、
上官であるその人に、兄貴は一日中怒鳴られていると言うのだ。
「よくここまで怒鳴れるよな・・・感心するよ・・・。」って言ってた。
右も左も分からないのに、いきなり運転するよういわれ、
慣れない24時間勤務。そして毎日毎日、怒鳴られる。
「俺、死ぬかもしれんな。」
兄貴がポツリそう言った。
心臓が止まりそうになった。
本当に死ぬかもしれん、と思った。
ヤバイと思った。
「帰って来い」って言った。
「仕事は?誰が子ども達の面倒を見る?」って言ってきた。
それでも帰って来いって言った。
「子ども達のためにって頑張ってきたのにな・・・
今は重荷でしかないよ・・・。できることなら離婚して
一人で好き勝手できたらいいな。」って言った。
こいつ本当に死ぬかも。ほんとにそう思った。
「久しぶりに話せてよかったよ。」と言って電話を切った。
泣いてしまった。
家族がこんなに苦しんでいる事にまったく気づかなかったから。
どうせ大丈夫だろ、って思ってた。
努力家で真面目な兄貴から、後ろ向きな言葉しか出てこない。
俺はすぐにオカンに電話をした。
「福岡に行ってくる。」
オカンもすぐに行って来いと言った。
実はオカンも兄貴が今相当ヤバいことを悟ってた。
でも兄貴は来るなといった。
その時聞いたのだが、
研修の最後に行われる試験に合格しなければ、
この1年間の研修はパーになる。
誰でも研修が終われば運転手になれるわけじゃないのだ。
1年も家を空け、奥さんに申し訳ないと思いながら、
生まれたばかりの次男にも会えず、
もし試験に落ちれば、全部、無駄になる。
兄貴は相当なプレッシャーの中にいた。
兄貴の試験は3月7,8日。
奇しくも、俺の舞台本番と同じ日だった。
そして今日、合格発表。
兄貴は合格した。
泣いた。嬉しくて嬉しくて泣いた。
すぐ電話した。
「よかったな、よかったな。」
それしか出てこない。
「おぉ、おぉ。」
兄貴もそれしか言わない。
電話を切った。
不器用で口下手だけど、
誰よりも真面目で一生懸命な兄貴。
本当におめでとう。
帰ってきたら約束どおり飲みに行こう。
本当におめでとう。
もしあなたがモノレールに乗って
運転手がkinki kidsの堂本剛似のちっちゃい運転手だったら
それは俺の兄貴です。自慢の兄貴です。
兄貴の長男坊。
永田太星。
3人兄弟の真ん中なので
愛情不足です(笑)
俺がたっぷり注いでやるからな!!
プラモデルもたくさん買ってあげるからな!!(たぶん)
by ken392010wri | 2009-03-13 18:42